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京都・東山、御寺泉涌寺のほとりで、京焼・清水焼の制作に励む陶芸家・職人の街にある”青窯会会館”へ来て見ませんか。会員の制作した焼きものの数々を展示・販売して居り、又、陶芸教室や体験教室も常時行っています。
ここ泉涌寺の地では大正時代の初期より約90年間、京焼・清水焼一筋に作陶を生業とし、著名な陶芸家や技の確かな職人さんを輩出して来ました。これからも京焼・清水焼に懸命に取り組んで参ります。
焼きものの真髄に触れたり体験をしてみたい方、又、将来陶芸家として仕事に打ち込みたい若い人、是非、泉涌寺の地へお越し下さい。きっと何かに出会えるはずです。
京都青窯会協同組合 代表理事
横山 武司
泉涌寺地区は、もともと『京都府愛宕郡今熊野村字東林寺』と呼ばれ、戒光寺の末寺の東林寺のあったところであった。
この地は「やきもの」とは古くから縁があり、太閤秀吉が大仏殿造営にあたり、この地に瓦窯を築かせ、「大仏瓦」の名で、東林町にも十数軒の瓦窯が大正初年まであったそうである。
明治38年、泉山了谷がこの地に「やきものの窯」を築き、明治41年、宇野仁松が「登り窯」に改良して焼造した時から起算して、開窯100有余年になる。
そして五条坂から先人達が登り窯を築いて、京焼・清水焼を開窯したのが大正3年。1番多い時で14本もの登り窯が煙を上げていた。
しかしその間、順風満帆での歴史ではなく、大正12年の世界的な不況、太平洋戦争、企業整備、若者は戦場にかり出され、帰らぬ人になった人々も計り知れない。こうして幾つかの大きな試練を経て、戦後につながるのである。
昭和30年頃から、伝統産業界では京都府の指導により青年会の結成が相次いだ。そのなかで、昭和35年10月、(任意団体としての)泉涌寺青窯会が発足したのである。
昭和43年、現在の青窯会の土地が入手し、その年の12月、「京都青窯会協同組合」が結成された。
昭和50年5月、青窯会会館が完成し、名実ともに我らの拠点ができたのである。
昭和56年からは東福寺での秋の出店、昭和61年には若者の意欲を結集し、「泉涌寺陶磁器青年会」が発足。平成6年より、秋に「もみじ祭り」を開催。地元をギャラリーに見立てた作陶展や即売を行い、平成9年からは展覧会やお茶席も設け観光客に親しんでもらっている。
この様に、泉涌寺地区は先人達から見れば眼を見張る発展を遂げている。
年 号 | 西暦 | 月日 | 地区窯業年表 | 京都の窯業界と世相年表 | |
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天正 | 14年 | 1586年 | 山中山城守泉涌寺地区にて大仏瓦を焼く | ||
大正 | 3年 | 1913年 | 島村久三郎、泉涌寺地区にて開窯 | ||
昭和 | 35年 | 1960年 | 10月 | 京都青窯会発足 70名 | |
39年 | 1964年 | 4月 | 第1回 京都青窯会作陶展 (以降、毎年開催) | 東京オリンピック | |
43年 | 1968年 | 11月 | 京都青窯会協同組合設立 | ||
45年 | 1970年 | 大阪万国博覧会 | |||
50年 | 1975年 | 5月 | 青窯会会館完成 | ||
52年 | 1977年 | 伝産法による「京焼・清水焼」名称認定 | |||
53年 | 1978年 | 9月 | 協同組合10周年記念行事世界クラフト会議協賛 | ||
12月 | 京都府 推奨組合に表彰 | ||||
58年 | 1983年 | 12月 | 京都府より優良組合として表彰 | ||
61年 | 1986年 | 泉涌寺陶磁器青年会発足 | |||
平成 | 3年 | 1991年 | バブル崩壊 | ||
6年 | 1994年 | 11月 | 泉涌寺窯もみじまつり(地区一帯・以降、毎年開催) | ||
7年 | 1995年 | 平安建都1200年 |